成人の日に想う
雲一つない青空で太陽も思いっきり光を放ち子どもたちに「がんばれ!」とエールを送ってくれた1月10日。
年明け初めの登園ですが、子どもたちは昨日の続きのようにおともだちと連れ立って元気そのものです。
お部屋を覗くと、「もうよんさい!」と大きくなって嬉しい気持ちがとびださんばかりのひまわりさん、
冬休みの短い間にも成長の跡が見られ嬉しい再会となりました。
中には、久しぶりの生活に気後れをしているように感じられる子もいますが、その心に寄り添って本来の自分がだせるようにみんなで見守っていきたいと思います。
さて、「成人の日」の昨日各地で式典が行われました。成人の年齢が18歳に引き下げられ初めて迎えた「成人の日」の名称を変更したり、新成人の対象年齢を18才、20才、所によって違いまだまだ悩める「成人の日」です。
ですが、抱負や希望に満ちた若者たちには、成人の仲間入りを応援したい、大人への一歩をお祝いしたい・・・。
子どもたちが成人の日を迎えるのは10年以上・・・先のことになりますが、
自立した大人になれるように今の子ども時代を道草しながら、回り道をしながら山や谷を歩くこともあるかもしれませんが、存分に遊んだ経験を持って成長していってほしいと思います。
あそびから社会性や道徳、おともだちの関りいろいろなことが生まれます。
さて、毎年新成人に向けて、伊集院静氏のサントリーの広告でお祝いの詩が掲載され、
それが私の楽しみの一つになっています。
今年も皆様にお付き合いいただきたく載せさせていただきます。
「水のようにまぶしい君になれ。」
今日から大人だと言われても、自分のどこが?何が?大人なのかわからないだろうネ。
私たちも皆同じだった。懸命に生きるうちに大人になった。大人なりの考えも身について。
自分だけがイイのはダメだ。働くにしても、歩くにしても、自分だけがラクするのはダメだ。
金を得ることが目的なら、早々自分を失うものだ。その仕事は誰かのために汗を流しているか。
そうして共に笑える日が見えるか?去年の春から大人は18才になった。
なぜ急にふたつも若くなったのか?それは信頼できる、可能性を信じて生きている大人を一人でも増やしたいからだ。この国はアジアの中で、いや世界の中で、美しい水に満ち、美味しい水にあふれ、素晴らしい自然に恵まれている。
その国の上を平然と兵器が飛ぶことを許してはいけないのだ。断じて許さない。
そういう大人になろう。誇りを捨てるな。今までの大人のやり方ではダメなんだ。
さぁ立ち上がろう。新しい日本人になるために。苦しくともともに歩き出そう。
立ちはだかる山も、挑めば必ず光が差す道は見えて来る。
美しい一本の渓流が乾いた喉をうるおしてくれる。いつか命の水を育て、乾杯しよう。
その日まで君たち新しい大人を私たちは応援し続けるから。 伊集院静
時代は大きく違いますが、昔に迎えた私の「成人の日」
その時のことは今も鮮明に残っていますが、伊集院氏の言葉に思わず襟を正さなければと思います。
昆虫のさなぎが羽化をして成虫になるように、羽が生えるわけでもない人間は、切磋琢磨して背中を見せられる大人を目指さなければ、今年二度目の「一月一日」自分を引き締める気持ちになりました。
※令和4年の500円玉の落とし主が分かりました。落とし主のところへお渡しすることができ、昨年の課題が無事に終了しました。お騒がせしました。