幼稚園の窓「こんにちは!」

みえないねっこ

2022.06.15

私たちが毎月購読している本に「まことの保育」という保育誌があります。

この本は、全国の浄土真宗本願寺派に属する幼稚園や保育園の「阿弥陀様をおがむ子どもを育てる」を願い、

園長先生や現場の先生が実践から学ばれた体験談などの寄稿が載せられたものです。

応援になるときもあれば啓発や刺激になるときもあります。

6月号に心を打つ投稿がありました。

 

長年現場で働き現在は主任保育士として勤めている方の「振り返りの大切さを学び」。

たくさんの子どもたちと出会い、元気すぎる子どもたちに振り回され全体を見ることに欠けていたあの頃、元気が過ぎるたび、そのことに向き合い指導、それが正しいと思っていた当時、

保護者の方から「うちの子は元気すぎて大変だったと思います。それは分かっていますが、もう少しだけこの子のプラスな部分も聞きたかったです。」と卒園する間際に話されたそうです。

やり直しのできない彼の幼少期の大事な伸びしろを奪っていたのかと反省、逆に手のかからずにできる子は、できるからと任せっきりになっていたことに気づき、子どもたち全員に詫びたい気持ちになった苦い経験があり、その苦い経験から毎日の保育を振り返り、見たままの姿だけではなくひとりひとりの内側の姿、気持ちを汲み取るように心がけていこうと切り替えたきっかけになったと綴られてありました。

最後に「きれいな花が咲きました。見えない根っこのおかげです。」

私たち保育士は、子どもたちの未来に成長の花をたくさん咲かせられるように願いながら、この見えない根っことなる乳幼児期を大切に関わっていきたいと思います。

と結ばれていました。

 

 

一日一日は当たり前のように訪れますが、子どもたちにとっては毎日が当たり前ではないのかもしれません。

「さびしいきもち」や「かなしいきもち」を抱いて幼稚園にいる時があるのかもしれません。

そしてそれを口に出して言えず、それでも幼稚園にいるのかもしれません。

ひとりひとりに寄り添い、子どもたちの悲しみやよろこびを一緒に感じていける先生でありたい、みんなの先生がこの気持ちになって子どもたちと暮らす日々を紡いでいってほしい、何をするより大事なことだと考えさせられました。