「成長」と「老い」
【「成長」はいつから「老い」へと変わるのだろうか?】
大変興味深いコラムを「まことの保育9月号」で読みました。
今日はそのコラムにお付き合いください。
子どもたちは、日々刻々と成長していきます。
ハイハイからつかまり立ちができるようになり、単語から会話になり、身体測定などには数値で成長をみられる子どもたちです。
ところで、私たちはいったいいつまで「成長」することができるのでしょうか?
身体面では、身長の方はともかく、体重の方はいつまでも子どもたちのように手放しで喜べなくなる時がきます。
そして、腹囲に至っては身体の老化と反比例するかのように勝手に成長したりすることもあります。
💞( 説得力のある言葉に思わず「そうだ!・そうだ!」とうなずいてしまいました。)
では「老い」とは、何か?というと、その具体的内容は、身体面では「それまで当たり前であったことが、当たり前ではなくなる」。
例えば、普通に見えていた文字が見えにくくなる、忘れっぽくなる、とっさの判断が鈍くなるなど数々、あげればきりがありません。私も「加齢」の魔法を知ったのは自身にその兆候が表れるようになってからです。保護者のみな様はお若く、ぴんとこないかもしれませんが、将来きっと平等に訪れてくるはずです。
💞(ごめんなさい、これは大きなお世話かもしれませんね。)
では、人としては、私たちはいつから「成長」が「老い」に変わるのでしょうか?
「老い」とは身体の衰えだけではなく、その本質が「当たり前であったことが当たり前ではなくなる」ということと捉えれば
「成長」とは「出来ないことが出来るようになるということ」。
どんな人でもなんでもできる完璧な人はいません。もちろん完璧な保育者もいません。
自分には、まだ出来ないことがいっぱいあることを自覚し、それを「できるようにしたい」と思っている間は、少なくとも「成長の過程」にあるといえるでしょう・・・・と結んでありました。
この記事を読んでわたしの思ったこと。
「老い」をマイナスに捉えても仕方のないことです。
自然に歳を重ねていくこと、そして一生の中でかけがえのない3年間を共有できその成長に携わることのできるこの仕事は喜びであり、子どもたちの成長を楽しみに真摯に向き合いたい。
「子どもたちが幸せに生きられる未来」を信じて、いつも「成長過程」でいよう。
つまり「成長」と「老い」の二足のわらじでいこう。・・・ということです。
笑顔に囲まれて日々を暮らせることを幸せだと感じています。
💞 なんだか体中から力が溢れそして勇気が湧いてきました。ですが、現実のわたしに戻ってみますと、
「わかばオリンピック」を目指し子どもたちが身体中で躍動感いっぱいに踊る姿に見惚れてしまいます。
若干3歳の年少さんも立ったり座ったりと飛び跳ねています。『あんなこと、できない』『私には、ぜったいむり』・・・・。
やはりどうしようもない『老い』を感じてしまいます。
💛💛💛💛
新しい一週間がはじまりました。夏の暑さも衰えるどころか、朝から暑い。
お休み明けは「えいっ」と、気合を入れて声にださなければ発進が難しい?ですが、徐々に幼稚園の生活に慣れていかれるように、緩急つけて過ごしていきたいと思います。
今朝「えんちょうせんせい、あえてよかった」と言ってくれた○○ちゃん、思いを伝えられるほどに成長している年長さんになったね、 言葉にしてくれてうれしかったよ!ありがとう・・・。
「やってみようカレンダー」は、24日にお持ち下さい。夏休みの足跡をみんなで振り返りたいと思います。
気づかないでいるのは申し訳ないことですが、お休み明けのお子さんにご心配があれば、どうぞお聞かせ下さい。宜しくお願いいたします。